秀明公プロフィール&生きざま
うなり声と叫び声の魔術師
出身地 横浜市(在住) 生業 スロットプロ 俺の街 関内・上大岡 過去のバイク GSX−R400 好きな歌手 ともさかりえ 好きな女性 カナコさん 好きな女優 水野さやか 趣味 パチンコ 特技 UFOキャッチャー
●秀明公とパチスロ
秀明公の生業は、「スロットプロ」です。このことについて、少し語ってみましょう。 今から数年前、「ニューパルサー」というパチスロの機種がありました。
すべてのはじまりはここにあります。秀明公は一時期肺病を患っていました。今までに、計3回入退院をくりかえしています。
実は秀明公には就職先が決まっていたのですが、その時期と入院の時期が重なったため、この話は白紙になってしまいました。ちなみに警備関係の会社だった、と記憶しています。
退院後、測量士補としてのバイトをはじめます。この頃は趣味でパチンコ・パチスロを打っていました。時代は「リプレイ機能」つきのパチスロ4号機の登場時期でした。当時はモーニングサービスというのがあり、これさえ狙っていけばバイト収入は軽く上回ることが可能でした。秀明公もこのサービスは当然利用したのですが、あくまでも、「遊び」としてのものでした。
●時代とともに・・・
そのときの大人気機種が、山佐の「ニューパルサー」でした。蛙か7が揃えばビッグボーナス&大量リーチ目という特徴をもったこの機種には、もう一人のボーカリスト「エムベ」も一時期ハマりました。
秀明公は、この機種をかなり研究し、リーチ目もほとんどおぼえました。ここから彼のスロットプロ人生ははじまってゆくのですが、この時点では測量士補の仕事もあるし、パチンコと併用しながら遊びで打っていたようです。
時代はニューパルサーから、クランキーコンドルにかわるのですが、この間、さまざまな機種が秀明公とともに時代を駆け抜けました。少し例をあげると、「ダイバーズ」「オリエンタル2」「ソレックス」「ジャックポット」「ザンガス」etc・・・ パチスロを知っている方の中には「おお、なつかしい」と思われる人もいるかと思います。
●運命やいかに?
秀明公はこれらの機種を遊びで打っていたのですが、「クランキーコンドル」が出ると状況は急変します。というのも、この機種を打っていれば生活できるということに気づいてしまったからです。
そしてついに、測量士補のバイトをやめ、スロット一本にしぼることになりました。親、兄弟と暮らしているので、生活費もそんなにはかかりません。彼はスロットプロとしての腕をどんどんあげてゆきました。
ところが、1996年になると、状況はまたかわります。家族が埼玉へ引っ越すことになったのです。ずっと横浜で暮らしてきた秀明公はできればこの地をはなれたくない。しかも、スロットプロとしても地元のよく知った店でうつのが一番である。
秀明公は悩みました。埼玉へいくか、横浜に残るか。横浜に残るということは、一人暮らしをはじめるということでもあります。はたしてスロットプロという不安定な生業でやっていけるのかどうか。悩みに悩んだ彼の決断とは、、、
●完全なるプロへの道
秀明公はやがて決断します。「スロットプロとして生きよう」!!その決断は秀明公にとってはまさに苦悩で、頭も少しうすくなったのではないか、といわれています(本人は強硬に否定している)。
なにはともあれ、まずは住まいさがしです。アパート、マンションどちらにするか、場所はどのあたりがよいか、彼は地元の友達と不動産屋へいったり、実際に現地へ見にいったりします。
そしてきまったのが、現在も住んでいる月7万円のマンションです。家賃はもちろん、今度は食費、光熱費なども自分で払うわけなので、かなりの負担となります。
しかし、いまのところそれでなんとかやっているようです。スロットの腕は自信があるらしく、なんの問題もないとのことでした。じつはこのマンションに引っ越してから一度肺病悪化による入院があったのですがそれも乗り越え、わりと安定した生活をおくっているらしいです。
●秀明公の『アングリーバンド』活動内容
秀明公は3人のメンバーの中ではもっとも活動に熱心で、また、他人の評価も気にしていたようです。スタジオを借りてのレコーディングも3回行いました。(蒲田2回、溝ノ口1回)
このときの録音をもとに、CDーRを利用してCDを制作しました。あと忘れてはならないのが多摩川ライブです。ライブといっても客がいるわけではなく、ラジカセをもっていってそれにあわせてうたうというものでした。そのうちの一回などは、詩吟のおやじとはちあわせになり、照れながらうたっていたのを思い出します。
そのときMDももっていって、「多摩川ライブバージョン」や、「照れて歌わないバージョン」などを録音しました。